カテゴリ:漫画



2016/02/23
ある雑誌で長年貢献した、当時まだ固定ファンのいた作家が編集部に呼び出され、段ボールに入れたその人の原稿を渡されて「これ持ってどこでも行って下さい」と言われました。原稿を返すというのは、会社によってやり方の違いはありますが、もう掲載しないという意味になります。
2016/02/22
大きな運命には抗えない、と書きましたが、全くその通りで、最初にラブコメを描いて3位を取った少女漫画誌もなくなりました。好きで潰れそうな雑誌に投稿したわけではありません。80年代後半はバブルの上り坂、漫画も売れ、投稿した雑誌には漫画愛好家なら知っている名作が連載され私がデビューした時も続いていて、潰れるとは思えませんでした。
2016/02/21
会社員兼業をやめ漫画専業になって1年後に会社が潰れました。運命とはそういうものだと思います。自分の考え、努力である程度の違いは作れても、大きな変化には抗えません。例えば雑誌が休刊になる、編集長が交代して作家を入れ替える場合もそうで、前の編集長に抜擢された人は、まとめて切られます。人気連載や看板作家は別としても安泰はありません。
2016/02/19
会社員と漫画家の兼業生活は思ったよりきついものでした。募集時の説明通り、ほぼ9時5時の勤務でしたが、掃除は毎日新米の私の担当で遅くとも15分早く出社しないといけません。そして帰りも掃除とゴミ集めをし、ゴミを出してから帰宅します。また、やはり時には残業もあります。問題はそれ以上に通勤時間が長かったことです。
2016/02/16
投稿時代とデビュー後の打ち合わせの厳しさの違いは想像以上でしたが、タイトルのつけ方から信じられないほど厳しい指導を受けました。タイトルを考えるのが苦痛になるほどでした。 まずタイトル20本出しをやらされました。その中から担当が選んで決めたタイトルが、大御所のタイトルとかぶるから変えろと言われ、また20本出しをさせられました
2016/02/15
編集者になりたくて出版社に入っても、希望通りに行かないことがあります。下積みをして営業から編集に移った人も、編集から営業に回された人も知っています。結果を出した人が評価され編集長になります。結果を出せない人もいますが全部が漫画家の責任とは言えません。
2016/02/14
デビュー後まもなく、担当編集者から注意を受けました。「デビュー前に好きな漫画家、嫌いな漫画家の話をして、嫌いな人をけなすこともあるけど、デビューしたら同じ世界で仕事をするんだから、他人の批判や噂話をしてはいけないよ。狭い世界だから、必ず本人の耳に入って、仕事ができなくなることもあるから気をつけてね。」
2016/02/11
一緒に仕事をして非常に助けられた編集者は何人かいます。逆に、普通、ちょっとやりにくい、と私個人が感じた人もいますが、助けられた人が多いと思います。そのちょっとやりにくい編集者があけすけに本音を語ったことがありました。 「どうして才能のない人ほど一生懸命持ち込みをするんだろう。一生懸命やればできると勘違いしているのかなあ。
2016/02/10
国会議員が事業仕分けで「2位じゃダメなんでしょうか?」と発言し批判を浴びました。漫画では巻頭カラーが1位と決まっています。前回低調で最下位だった人が次に巻頭で1位を取ることもあります。また、編集者に聞いた話ですが、巻頭カラーの出来が悪く、編集部一同「失敗だ」と頭を抱えたのに、結果的にはやはり1位だった、ということもあります。「どうしよう、こんなつまらない話が1位取っちゃった」と編集者が嘆いていました。それほど巻頭で外すことは珍しいのです。
2016/02/08
デビューしてすぐやめる人もいれば、売れる人もたまにはいます。どちらでもなく細々と描き続ける人もいます。そういう場合が多いと思います。 どこの出版社も人気作家は抑えたいので、1年以上前からスケジュールを決めてしまいます。雑誌のページ数、掲載枠が限られ、すでにかなり埋められている中で、新人、前年、その前の若手、他社からの持ち込みなどが競い合ってページを取りに行きます。

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